竹原ピストルの生い立ち父姉のエピソード!長渕剛みたいに苦労しているのか?
こんにちは。
竹原ピストル大好き、めんぼうです。
日本を代表するシングソングライターと言えば、長渕剛さん、中島みゆきさんの2大シンガーがいますが、第3番目の大御所といえば、間違いなく竹原ピストルさんです(独断と偏見)!
じつは、僕は長渕剛さんや中島みゆきさんは、中学の頃にはもうすでに知っていましたが、竹原ピストルさんは最近知りました。
何気なく、ユーチューブ見ていたら、おすすめに出てきたので聞いてみたら、思わず泣かされました。
その時は、中島みゆきさんの「ファイト!」のカバーを竹原ピストルさんがやっていたのですが、もう歌声といい、歌い方といい、ドハマりです。
それ以来、長渕剛さん、中島みゆきさん、そして竹原ピストルさんが僕の中の3大シンガーになりました。
竹原ピストルさんの生い立ち
竹原ピストルさんは、千葉県千葉市の出身です。
具体的な両親の職業などは、公表されていませんが、ご自身のブログ(竹原ピストルのブログ 流れ弾通信)で父親とのエピソードに触れています。
父ちゃんとは毎年、元旦、近所の神社に二人でお参りに行く習慣がありました。
ぼくがまだ赤ちゃんの頃から(さすがに記憶はないけど)、大学卒業まで。
今でも覚えているのは、高校時代のとある元旦、神社へ向かう道すがら、ぼくに、将来は堅く、安定した職業に就いて欲しいと切望していた父に、“オラはプロミュージッシャンを目指したいんじゃ!”の意志を告げるべく、その前フリとして、「父ちゃんには若い頃、夢とかってなかったの?」と尋ねたところ、父ちゃんに若干遠い目をされつつ、「それどころじゃなかったなぁ、食っていかなきゃいけなかったから。。。」なんてポツリと呟かれたりなんかして、ぼくは父ちゃんが早くに両親を亡くして、鬼のように貧乏していたことなんかを知ってはいたりもしたから、先述の、“オラ、プロミュージッシャンを目指したいんじゃ!”を上手いこと切り出せなくなっちゃって。。。みたいな思い出ですね。
引用:竹原ピストルのブログ 流れ弾通信(父ちゃんまたね!)
元旦に毎年、父親と神社に参拝していたようです。
そして、職業こそ明かしていませんが、ミュージシャンなんて許してくれないぐらい硬い人だったようです。
また、竹原ピストルさんの父親は、今ではハワイアンバンドを作って、バリバリやっているようです。
竹原ピストルさんの影響を受けたのかもしれませんね。
竹原ピストルさんの姉
竹原ピストルさんの姉は、父親の希望通りお硬い職業、高校教師でした。
今では、もう辞めているようですが、「竹原バズーカー」と自分を名乗るように、豪快なお姉さんだったようです。
また、ご自身のブログ(竹原ピストルのブログ 流れ弾通信)でも、お姉さんのことに触れられています。
九歳年上の姉、竹原バズーカ(自分で名乗ってんだからそう呼ばなきゃ仕方ありません)その人。
科学の範疇を遥かに超越した強靭な精神力を軸に培った驚異的な身体能力で数々のスポーツの頂点に登りつめんばかりだった姉。かと思えばピアノで数々のコンクールに出場、最終的にはピアノの先生の資格までゲットしちまった姉。
リオのカーニバルにも十二分に通用してしまうであろうハイテンション、織田信長を思わせる大胆不敵、関羽雲長に勝るとも劣らない豪快さ。そのまま突き進めば間違いなく歴史上の人物として未来の教科書に写真付きで掲載されたであろうに、意外にも“手に職つけてナンボ主義”だったりして、資格を取り、堅く、高校教師になった姉。
「バズーカは正直、あまりかわいくなかった。だって教えなくても自分で何でも出来ちゃうんだもの。」とは父、寂しげに、談。
お姉さんのことをこういうふうに書けるなんて、本当に仲が良い証拠ですよね!
長渕剛さんみたいに苦労しているのか?
長渕剛さんといえば、売れるまでに(売れてからも)、苦労されていますが、竹原ピストルさんはそんな苦労は無かったのでしょうか?
詩を聞いていると、ものすごい苦労を感じます。
不器用な男の生き様というか・・・。
一回、野狐禅としてデビューしたもの、解散してしまいます。
その後、ソロとして活動しますが、ドサ周りばかりでなかなかうまくいかなかったようです。
2017年NHK紅白歌合戦出場!
竹原ピストルさんは、2017年の大晦日「第68回 NHK紅白歌合戦」に出場しています。
歌は、「よ~、そこの若いの」を熱唱しました。
まとめ
お父さん、お姉さんのエピソードを見ていると、長渕剛さんみたいに家族に苦労したという背景は見えてきません。
むしろ、ブログを読んでいると、仲良し家族のようです。
そして、竹原ピストルさん自体の家族ですが、すでに結婚していて男のお子さんが1人います。
今では、もう8歳になります。